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痛恨の一撃 著:南篠豊 イラスト:れい亜

 寝る前に歯を磨こうと思って風呂場に行った勇真は、浴室から出てきたイスティと出くわした。シャワー上がりらしい。
「んなっ!? ユウマきさま――」
「あー悪い、誰もいないもんかと。えーと俺の歯ブラシは……」
 取り込み中なら台所で歯を磨こう。勇真は歯ブラシと歯磨き粉のチューブだけいただいて「じゃ」と普通に出ていった。
 歯を磨きながらすたすた歩いて台所へ向かう。
「……待あてきっさまあーーーー!!」
「うおっ!?」
 どたどたと、バスタオルを巻いた金髪金眼美少女が追いかけてきた。競歩だ。ほっそりとした手足とか全体的に未成熟なからだつきなどどうでもよくなるくらい、バスタオル女が競歩で迫ってくる映像はインパクトがあった。
「ちょ……おまえ何考えてんだ!? タオル一枚って……」
「リアクション数テンポ遅いわバカ者! なぜさっきそれを――」
「風邪ひくだろうが! せめてちゃんと体拭いて来いよ! それに廊下もめっちゃ濡れてるし……えーと雑巾どこだったっけ……」
「ちっがああーーーーーーーう!!」
 濡れそぼった髪を振り乱して水滴を飛ばし、激しく地団駄を踏む妖怪バスタオル女。板張りの廊下だぞ自重しろ。
「そうではない……そうではないだろうユウマっ!?」
「いや何にそんな怒ってるんだよ……悪いってさっき謝っただろ……?」
「それだ! そのリアクションの軽さと淡白さ!」
 イスティはびしっと人差し指を突きつけてくる。
「きさまは我の裸を見たのだぞ? この我の!」
「いまもなかば見せられてるような状態なんだが」
 さっさと回れ右して服着てこい、はしたない。
 ところで雑巾どこだっけ。勇真にはそっちの方が重要だ。
「いわゆるラッキースケベだ。男子の憧れだ。とりわけ高校生男子にとっては値千金の価値があるといっても過言ではない」
「あっそうだ台所。二番目の棚に……」
「だというのに『あー悪い』だと? なんだそのうっすい反応は。もっとお約束に沿ったリアクションを……――ってそういうところだ! バスタオル美少女目の前にして拭き掃除とかはじめちゃう、そういうのがきさまのよくないところ! マメかその顔で!」
「ん?」
 勇真は歯ブラシくわえたままふきふきと後始末にはげんでいた。
「もっと『らしい』反応をしろというのだ! 年相応に欲情してだな」
「いやそういうの普通されて嫌がるもんだろ……」
「ええいどの顔で常識を語る!? ボス狼みたいなツラで紳士気取りか!」
「ツラに良識は関係ねえだろうが!」
 はっ倒すぞ。
 というかなんでそこまで『らしい』反応にこだわるのか。
「なんなんだ。まさか一丁前にラブコメでもしたいのか? だったらいつまでも引きこもってないで外で健全な出会いでも探してこい」
「ふん、勘違いもはなはだしい。だあれが勇者の息子であるきさまなどと。生まれ変わって出直してくるがいい!」
 そのまま返してやるよクソ魔王。
「でもじゃあ、なんでそこまでこだわるんだよ」
「きさまがあわてふためかなければ我が心理的優位に立てないだろう。あと我のプライドの問題!」
「うわこいつめんどくせえ」
 打算を先に立たせてるのがまた腹立たしい。
「ほれほれ、におい立つ色香におぼれるがいい。見よこのしなやかな肢体を。上気した肌を。しっとりと濡れた髪を――くしゅん」
 かわいらしいくしゃみ。言わんこっちゃない。
「だからはやく服着てこいって。ここは俺が片付けといてやるから」
「んあああ納得いかん! 余裕ぶりおって!」
「地団駄踏むなやかましい。つーか床濡れてるからあぶねえって……」
「うるさい! どうしてきさまはそう――あっ」
「ほらすべった!」
 すてーんと倒れ込んでくるイスティ。
 勇真は反応こそできたものの、両手が歯ブラシと雑巾でふさがっててうまく受け止められなかった。それでも必死に支えようとしたのだが、濡れた床に足をすべらせて結局一緒に倒れ込むはめになってしまった。「んぎゃ!?」とイスティの悲鳴が大きく響く。
「おおおお……頭が、頭が……」
 イスティは後頭部を打ったらしくすごい顔で悶えている。「だからあぶねえっつったろ……いてて」とぼやきながら勇真も起き上がろうとしたそのときだ。
 ガタ、と後ろの方で物音がした。
「お、兄、ちゃん……!?」
 振り返ると妹の雪凪がいた。
 うるさくて部屋から出てきてしまったんだろうか。だとしたら申し訳ないが……しかしなんだろうあの表情は。すこし離れた場所から、まるで衝撃的な場面を目撃してしまったかのようにこちらを……
 いや待て。
 仰向けに倒れたイスティに、勇真はおおいかぶさるような状態になっている。これは傍から見たらすこし、いやだいぶ気まずいアレなのでは――
「……ゆ、雪凪? ちがうからな?」
「……う…………」
「待って泣くな! 泣かないでお願い! ちがう、本当にただの事故だから! 誰が好きこのんでこんな……おいイスティ、おまえからもなんか言え!」
「……せめて、優しくしろ……?」
「おまえってやつはあああああ!!」
 なに恥じらったふうに身をかき抱いてやがる。
 それがトドメになったのか、雪凪はその場からぴゅーっと退散してしまった。「雪凪あ!?」と叫ぶ声もむなしく部屋のドアが閉められる音が、絶望的なまでに遠く廊下に響いた。
 そこまで見届けたイスティは、やおら立ち上がり「……ふはははは! してやったり!」と腰に手をあて高笑いし、愕然とへたりこんだ勇真を睥睨する。
「どうだ勇者の息子よ、我に塩対応した代償は高くついたな!」
「……」
「これからきさまは妹にケダモノと蔑まれ、洗濯物が一緒になることすらこばまれながら生きていくのだ! ざまあない…………えっ」
「…………」
「あれ……きさまもしや……」
「……………………」
「…………いや……その、アレだ。我もちょっぴり悪ノリがすぎたというか…………まさか、膝抱えて泣くほどショックを受けるとまでは…………ええい、もう、わかった。わかったから。ユキナには我からちゃんと説明しておくから。な?」
 勇真は三十分くらい立ち上がれず、そのあいだにイスティは雪凪のもとにおもむいてきっちり説明責任を果たしたのだった。

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