「なあ、立華」
「はい、なんですか先輩？　あ、聖って呼んでください」
「じゃあ、聖」
　ある駅の構内のベンチで俺――御剣八雲が自分の隣に座る立華聖に声をかけると、彼女は小さく首を傾げてそう言った。
　そんな彼女の膝の上では、一匹の黒猫が丸くなって寝ている。
「お前って、これまでどんな事をしていたんだ？」
　それは特に他意のある質問では無かった。これから同じ任務に携わる相棒との親睦を深めるための、ただの世間話だ。
「桜丘市という街で、普通の高校生をしていました」
　その意図は聖も汲み取ったようで、微笑みながら答える。
「へえ、どんな街だったんだ？」
　話を広げる俺に、聖は自分の故郷を思い出すように眼を細めて語り始めた。
「田舎過ぎず、都会すぎず、綺麗な街です。名前の通り、春には街中を満開の桜が覆うんです。そのほかにも季節によって色んな花が街にあふれています。大変な事件も多かったですけど、神さまたちとそれに仕える者たち、みんなが力を合わせてそれを乗り越えていたんです。素敵な方々に守られた、そんな街でした」
「そっか……良い街なんだな」
　そう言ってから、ふと疑問がわき起こる。
　良い街だったのに――彼女はなぜそこを出て、今ここにいるのだろう？
　そう疑問に思う俺に、聖はぽつりと言った。
「それと――巫女が、一人いますね」
「ん？　巫女くらいどこにでもいるだろう」
　なにせこの国は街のさらに細かい土地ごとに、そこを守る神さまがいるのだ。彼らに仕える巫女も、当然どこにでもいる。
　目の前の聖もまた巫女であるはずだ。
「いえ……そういう話では無いのです。そういう次元では無い、というべきでしょうか――その巫女は特別なんです」
「特別って……？」
「特別は、特別です。他の人とは違うということです」
　そう言われても、俺としては何ともいえない。次の彼女の言葉を待っていると、聖は目を伏せて数秒黙っていたが――
「そんな《彼女》に私は――」
『間もなく電車が到着します。白線の内側へ入られぬようお願いします』
　聖が何か言おうとしたところで――駅の構内に、次の列車の到来を告げるアナウンスが流れる。それは狙ったかのように、聖の言葉を遮った。
　聖はそれに、不思議な表情を浮かべる。
　残念なような、ほっとしたような。
　しかし――
「……さ、行きましょうか、先輩」
　それ以上、話を掘り下げられるのを避けるように、聖は膝の黒猫を抱いてベンチから立ち上がる。
「ああ、そうだな」
　俺もまだ初対面に近い彼女に、そこまで踏み込んで訊く気は無かったので、それに頷いて立ち上がった。
　そうしてあたりを見渡すが――駅のホームには俺たちの他には誰もいない。
　それもそのはず、この駅は表立っては存在していない駅なのだから。
　汽笛を鳴らして、存在しない駅に存在しない列車が入ってくる。
　――この列車が向かう先は、星宮市と呼ばれている。
　一般の人間は足を踏み入れることのできない、霊能者のみが住まう街だ。
　俺たちはこれからそこに潜入捜査に向う。
　目の前で停止した列車が音を立てて扉を開け、俺と聖はその中に足を踏み入れた。

　――その頃、桜丘市のとある神社。
「くしゅんっ」
「お、どうした、風邪か？」
「いえ、誰かが私の噂をしているようです」
「……それってたんなる迷信じゃなかったのか」
「そんな気配がしましたので――具体的に言えば、立華の孫娘が出雲のあたりでどこぞの霊能者相手に私の噂をしている気配でした」
「具体的すぎんだろ、それは」
　彼らはいつもの通りだ。

　くしゃみ一つで全てを悟る巫女、黒須千鳥。
　彼女に仕えられる神である俺、音守真人はその千鳥が机で書き物をしているのに気が付いて尋ねた。
「そう言えば、お前は今なにやってるんだ？」
「いえ、このところ様々な事が立て続けにありましたので、知り合いの方々に近況を報告しようと思いまして」
「へえ、まあいいんじゃないか」
　確かにこいつにしても、俺にしてもありすぎるくらいに色々な事があった。その皮切りとなったのは、この千鳥との出会いなのだが。
「いまは真人さまとお会いする前に少し所属していた職場――のようなものに、手紙を書いているところなのですよ。何分不義理をしましたので」
「不義理？　どんな？」
「その方々が秘匿していた技術が欲しかったので内部に潜入し、それを手に入れたと同時に雲隠れしたのです」
「……それ不義理とか以前の問題だろう」
　産業スパイとかその類だ――手紙とか送っても、むしろ挑発してるようにしか見えないんじゃないか？　まあ、こいつにその辺の常識を求めても無駄か。
「で、手紙ってどんなんだ？」
　ひょいっと、俺は千鳥の肩越しに手紙に目を向けそれを見た。
　その手紙は、写真付きのものだった。そしてその写真にはタキシードを着た俺が、ウェディングドレスを着た千鳥をお姫様抱っこした姿が映されている。
　写真の下には、大きく祝の文字が。
　しかし俺には、こんな写真をとった覚えは無い。
「……なんだ、このコラは」
「真人さま、これはコラージュでは無く念写というれっきとした霊能力です」
「どっちでもいいわそんな事！　それに祝ってなんの事だ！」
「いえ、皆さまの日々に祝いがありますようにということであって他意はありません」
　絶対に嘘だ。
　こんな手紙を見れば、相手がどう思うかなんて分かりきっている。
「こんなもの他人に送るのは却下だ却下！」
　千鳥と恋人同士になったとはいえ、さすがにまだ高校二年生で結婚を決めるまでの覚悟は無い。
「ですが真人さま」
　そんな俺の言葉に、千鳥はこう返して来た。
「なんだよ、言っとくけど今のは命令だからな、拒否は認めないぞ」
「いえ、そうではなく――この写真付きの手紙ですが、すでに私の両親をはじめ関係各所には送っていますが。ああ、さきほど話していた立華の孫娘にももちろん送りました。彼女が私たちを噂していたのも、その事かもしれませんね、きっと祝福してくれているのでしょう。彼女はなかなか良い子でしたから」
　――どさどさと。
　なにか重いものが落ちる音が脳内に響いた。
　それが何なのか数秒考えて、思い至る。
　ああそうかこれはあれだ、外堀の埋まる音というやつだ。
　妙な納得をしながら、俺はその場で頭を抱えた。


　その頃、出雲に向う列車内。
「くしゅんっ」
「お、どうしたんだ聖？　風邪か？」
「いえ……どうも、誰かが聖の事を話している気配がするんです」
「へえ、確か巫女はそういう勘も働くんだったな――相手はいったい何者だ？」
「御免なさい、そこまでは分かりません」
「まあそれはそうか、くしゃみ一つでそこまで分かるやつなんて、いるわけないしな」
「……そう、ですね」
「もしかしたら、これから向う先で待ち受ける誰かが、俺たちの噂をしていたのかもしれないぜ。ちょっと気を引き締めておくか」
「はい――先輩！」
　そうして彼らの乗る列車は、一路星宮市へと走っていく。