「ストレンジ・エッジ」2巻発売記念スペシャルショートストーリー エルグリア暦三二二年 第二九日 ―魔女の憂鬱―

 年齢二〇〇歳の魔女アルティ=ナスラは、ぼんやりと窓の外を眺めていた。 「はあ……」
 アルティは、幼く可愛らしい顔を曇らせ、ため息をつく。
 この世界《ヴィルムエイド》に住む亜人、魔女族は一〇〇〇年を超える寿命を持ち、二〇〇歳のアルティはまだ子供といって良い。そのため、彼女の顔立ちは幼く、体も小柄だった。
「どうすれば良いのかな……」
 アルティは弱々しく囁(ささや)き、何かを思い悩む。
 しかし、しばらく考えても答えは出ない。彼女は嘆息すると、考えるのを止め、部屋から出ようとドアへ向かった。
「あ、おはようございます、先生」
 ドアを開けたアルティに、声が掛けられる。
 ドアの先には、一人の少年が居て、アルティに会釈していた。それは、加賀見廉士(かがみれんじ)という名の一五歳の少年で、アルティは彼と二人で暮らしている。
「おはよう、レンジくん。すぐ朝ごはん用意するよ」
 アルティは挨拶を返すと、キッチンへ移動し、慣れた手つきで料理を始める。そして、スープとパンとサラダを用意すると、それをテーブルに並べていった。
「じゃ、食べようか」
 アルティと廉士は向かい合って座り、食事を始める。
 彼女は小さな手でパンをちぎりながら、口に運んでいった。しかし、不意にその手が止まると、彼女はちらちらと廉士へ視線を送り出す。
「どうかしました?」
 視線に気づいた廉士が、眉をひそめる。
 すると、アルティは慌てた様子で、手をぱたぱたと振って見せた。
「あ、その、味付けは大丈夫かなと思って」
「先生の料理は、いつも美味しいですよ」
「そ、そうか。なら良いんだ」
 アルティは答えると、口に押し込むように食事を終える。そして、椅子から立ち上がった。
「ちょっと調べ物があるから、部屋に戻るよ。食器はそのままで良いから」
「あ、片付けはやっておきます」
「そうかね。それじゃ、任せるよ」
 廉士に微笑みかけ、アルティはテーブルを後にする。
 そして、ドアを開け、先ほど出てきた部屋へと入った。そこはアルティの寝室で、彼女は部屋に入ると、ベッドに倒れ込み、枕に顔をうずめた。
「先生……か」
 アルティは、廉士との会話を思い出しながら、つぶやく。
「名前、呼んで欲しいな……」
 そう囁くと、彼女は深々とため息をついた。

 アルティと加賀見廉士が出会ったのは、今から二九日前のことだった。
 別の世界から来た少年、加賀見廉士と彼女は、呪王(じゅおう)と呼ばれる魔人と命を賭して戦った。その戦いの中で、二人の距離は縮まり、アルティにとって廉士は、特別な存在になっている。
 しかし、二人の間には、まだ溝がある。
 彼女は特殊な生い立ちから、二〇〇年近くを一人きりで過ごしてきており、他人と接するのが得意ではなかった。また、魔女族には他人に名前を教えてはいけないという掟があり、彼女は廉士から『先生』と呼ばれている。
 それら二つの溝が、アルティが廉士へ歩み寄れない、大きな理由。
 彼女は、そのことに悶々(もんもん)としながら、日々を過ごしていた。
 
   ◇◇◇
 
 昼近くになり、アルティと廉士は、街へ買い物に出かけた。
 人通りが多い道を、二人が並んで進んでいく。身長の低いアルティは、人混みが得意ではなく、少し面倒そうに歩いていた。
「必要な物は、これくらいですか?」
 両手で大きな荷物を抱えた廉士が、アルティに問い掛ける。
 二人は食料の買い出しに来たのだが、いつも一度に買い込むため、その量はかなりのものだった。肉や野菜、調味料などが入った布袋は、人ひとりがすっぽり入れてしまうほど大きい。しかし、その大きな袋を、廉士は涼しい顔で持ち、重さを感じさせていなかった。
「食材は、これで全部かな。あとは……」
 アルティは言葉の途中で、ふと前方の建物に目を留める。そこは女性向けの服屋のようで、店先に少女たちが集まっていた。
「あの店、行きますか?」
「うーん、私には似合わないかな。あそこは若い子向けのようだし」
「先生は若いと思いますけど……見た目は」
「ほう、じゃあ中身はどうなのかね?」
 にこにこと笑いながら、アルティが問い掛ける。しかし、その目はまったく笑ってなくて、廉士は顔を引きつらせた。
「いや、中身も若いですよ。二〇〇歳とは思えません」
「むぅ。まったく、レンジくんは……。服は、単純に趣味の問題だ。派手なのは好きじゃないんだよ」
 アルティは不機嫌な顔で言い、服屋を通り越して行く。彼女はいつも地味な黒マント姿で、確かにその店に置いてあるカラフルな服は、彼女の趣味ではなさそうだった。
 そして、二人は街を出る。街は獣(けもの)避け用の高い壁に囲まれており、そこを出ると外は草原になっていた。
 アルティはまだ機嫌が直らず、廉士に話しかけようとしない。また、廉士も気まずい表情で彼女に声をかけられず、二人は無言で草原を進んでいった。
 その沈黙に、先に耐えられなくなったのは、アルティだった。
 彼女は、おずおずと口を開く。

「……ね、レンジくん。前に話したことなんだけど……」
「え、あ、話ですか?」
 急に話しかけられた廉士は、慌ててアルティに答える。
「その、私の名前……」
 実は数日前に、彼女は『アルティ=ナスラ』という自分の名を廉士に教えていた。それは、彼への親愛を表した行動だった。
 しかし、二人とも『先生』という呼び名に慣れてしまっているせいで、これまで彼女の本名が呼ばれたことはなかった。アルティはそのことが不満なのだが、他人とコミュニケーションを取るのが苦手な彼女は、それを言い出せずにいた。
「あ、あのね。私たちも知り合ってそれなりに経つし、ほら、もう少し親しくというか」
「先生……」
「その、レンジくんが嫌なら別に良いんだけど、私としてはせっかく一緒に居るんだし」
「あの、先生、前……」
 廉士が戸惑った表情で、前方を指さす。
 そこには、行く手を塞(ふさ)ぐように、数人の男が立っていた。数えてみると六人居り、男たちは全員、手に抜き身の剣を持っている。
「荷物を置いていきな」
 男の一人が、恫喝(どうかつ)するように言い放ってくる。
 対して廉士は、どう答えるべきか迷い、アルティに困り顔を向けた。
「先生、どうします?」
「ほら、私はレンジくんって名前で呼んでるわけだし、お互い様というか、レンジくんも私をそんな風に呼んでくれても構わないというか」
 アルティは周囲の状況に、まったく気づいていなかった。
 顔を赤らめ、早口でしゃべる彼女は、前方に男たちが立っていることにすら気づいていない。彼女は足を止めず、そのまま歩いて行って、男にぶつかってしまった。
「ふぎゃっ」
 男の胸に顔が当たり、アルティはようやく相手の存在を認識する。彼女は剣を持った男を見て、眉をひそめた。
「君は誰だね?」
「お嬢ちゃん、楽しそうなところ悪いが、荷物を寄越しな」
「なんだ、強盗か」
 アルティは怖がるそぶりを見せず、呆れた表情で肩をすくめる。
「こんな街の近くで犯罪行為とはね。大声を出せば、街の警備兵がすぐ駆けつけるよ」
「声を上げたら、お嬢ちゃんの可愛い顔が台無しになるぜ」
「それは困るね。なら、そうならないように、先に攻撃しておくよ」
「何?」
 訝(いぶか)しげな表情になる男の前で、アルティが深紅の宝石を取り出した。そして、それを握り締め、彼女は言葉を紡ぐ。

「炎煌熱爆球(フレイル・エグ・ゼナス)!」
 直後、巨大な火炎球が出現し、男に向かって飛ぶ!
 だが、火炎球は男には当たらず、体をかすめて後方に飛んでいった。そして、地面に着弾すると、激しい爆炎が噴き上がり、周囲一帯に轟音(ごうおん)が響き渡る。
「先生、やりすぎじゃ……」
 廉士が顔を引きつらせて話しかける。
 しかし、アルティは聞いていない。
「せっかく私が大切な話をしていたのに、邪魔をするとは良い度胸だ。責任を取ってもらおうか」
 そう言うと、アルティは更に火炎球を作り出した。彼女の周りに無数の火の玉が浮かび、肌を刺すような熱気が周囲に立ちこめる。
 一方の強盗たちは、先ほどの一撃で意気消沈していた。彼らは後ずさり、怯(おび)えた顔でアルティを見ている。
「――あの、それ、ちょっと借ります」
 そこで廉士が食材の入った布袋を地面に置くと、男たちの一人に近づいて行き、持っている剣に手を伸ばした。アルティに気を取られていた男は、あっさりと手放し、廉士は剣を奪うことに成功する。
「なっ、なんだ貴様!?」
 男が叫ぶが、次の瞬間、いきなり彼は地面に倒れ込んだ。廉士が奪った剣を一閃(いっせん)させ、男を斬りつけたのだ。
「何しやがる!」
 別の男が、廉士に剣で斬りかかってくる。
 廉士は、その攻撃を最小限の動きで躱(かわ)すと、再び剣を振るった。しかし刃で斬るわけではなく、剣の腹を相手のみぞおちに打ち付け、気絶させている。最初に倒した男も、実際には斬っておらず、気を失わせただけだった。
「先生に燃やされるよりマシだと思うから……すみません」
 廉士は謝りながら、残りの男たちに迫っていく。
 相手は複数人だが、廉士はまったく意に介していなかった。烈風のごとき速度で間合いを詰めた廉士は、目にも留まらぬ神速で剣を振るっていく。
 そして、瞬く間に、すべての男を地面に叩き伏せた。
「むー、私一人で充分だったのに」
「火の魔導術は危ないですよ」
「本気で当てる気はなかったよ。もう、少しはストレス解消になると思ったのに……」
 アルティは不満げに言い、周りの火炎球を消す。
「この人たち、どうしましょう?」
「街に戻って警備兵に引き渡すかな。やれやれ、手間を掛けさせるね」
「あ、さっき話の途中でしたけど、俺に何の用でした? あんまり聞いてなくて……」
「え、あー……また今度でいいや」
 アルティは疲れたように答え、肩を落とす。
 そして、二人は強盗を引き渡すため、街へと戻っていった。

「うー……」
 買い物から家に帰ってきたアルティは、自分の寝室に籠(こ)もっていた。彼女はベッドの上に寝転がり、足をバタバタとさせながら唸(うな)っている。
「何をやっているんだ……」
 それは、自分自身に対する、苛立ちの言葉。
 名前で呼んでもらう。そんな簡単なことも伝えられない自分が情けなかった。
 アルティは、二〇〇年近くを独りで生きてきた。そのせいで、自分の気持ちを言葉にすることが上手くできず、もどかしさが彼女の心を重くしていた。
「うー……よしっ」
 アルティは何かを決意すると、ベッドから立ち上がった。そして、寝室から出て、リビングのソファーに座っていた廉士のところへ歩いて行く。
「先生、どうかしました?」
「ちょっと買い物に行ってくるよ」
「え、またですか?」
 廉士が眉をひそめる。
 しかし、アルティは気にせず、外出の準備を始めた。
「じゃあ、俺も……」
「いや、今度は一人で行くから」
「荷物持ちくらいやりますよ。家とか食事とか、先生に頼りっきりなんだし」
「良いから、君は留守番していたまえ」
「はあ……」
 困惑する廉士を相手にせず、アルティは出発の用意を整える。そして、リビングから出て行った。
「……何か変だな、先生」
 一人残った廉士は、心配そうにつぶやく。
 だが、追いかけることはせず、彼は不安げにアルティの背中を見送っていた。

 アルティが買い物から戻ってくると、時刻は夜になっていた。
「うーん……」
 アルティは腕組みをして、ベッドをにらみつけるように見ている。彼女は寝室に一人で居り、買ってきた品をベッドの上に並べていた。
 彼女が買ってきた物、それは服だ。
 一人で買い物に出かけたアルティは、昼間に街で見かけた服屋に行き、自分の服を見つくろってきていた。購入したのは、リボンとフリルがついた水色のワンピースで、少女向けの可愛らしいデザインになっている。
「とりあえず、着替えてみるか……」
 アルティはそう言うと、着ているシャツのボタンを外す。彼女は普段、黒マントの下は、白いシャツと黒いスカートというシンプルな服装だった。
 シャツとスカートを脱いだアルティは、水色のワンピースに着替える。
 そして、壁に掛けられている鏡の前に進み出た。
「……趣味じゃないな」
 アルティは顔をしかめて、鏡に映る自分を見る。
 整った顔立ちと、緩やかなウェーブが掛かった長い金髪を持つアルティに、水色のワンピースはよく似合っていた。しかし、彼女自身は不満のようで、納得していない表情をしている。
「服を替えれば気分も変わるかと思ったけど、別に変化ないか……はあ」
 アルティは深々とため息をつく。
 だが、再び鏡を見ると、彼女はじっと自分の姿を凝視した。
「……レンジくんは、なんて言うかな」
 普段とは違うワンピース姿の自分を、廉士はどう思うか。自分の趣味ではないが、彼の方は、こんな感じの服が好きなのかもしれない。アルティはそれが気になると、そわそわと落ち着かない様子で体を揺り動かした。
 そして、我慢できなくなり、アルティは寝室のドアを開ける。
 リビングを覗(のぞ)くと、廉士はソファーに座り、本を開いていた。
「あ、先生」
 廉士が気配を感じ、アルティに気づく。
「や、やあ。何をしているんだい?」
「俺って会話は神器(しんき)の力で出来るけど、この世界の文字は読めないじゃないですか。で、どうにかして読めないかと色々試してたんですけど……普通に勉強しないと無理っぽいです」
「そ、そうか。なら、私が教えてあげても良いよ」
「そうですね。それが一番早いかな……」
 廉士は言い、再び本に目を落とす。
 一方、アルティはその様子を、もじもじと手を動かしながら見ていた。しかし、廉士がいつまでも本から顔を上げてくれず、彼女は次第に苛つき始める。

「ねえ、レンジくん。私に何か言うことはないかね?」
「言うこと?」
 廉士は眉をひそめて、視線をアルティに向ける。
「ほら、あるだろう」
「あ、夕食のことですか? 何でも良いですよ」
「うぅ、違うよ!」
「え?」
 アルティが急に怒鳴ったので、廉士は目を丸くして驚く。
「ほら! いつもと違うだろう!?」
「違う? そういえば、服が……」
「そう! それだよ!」
「また出かけるんですか? もう夜だし、明日にした方が良いと思いますけど」
「うー……レンジくんのバカ!」
 アルティは涙目になって叫び、寝室に駆け戻っていく。そして、ベッドに体を投げ出すと、うつ伏せになって倒れ込んだ。
「うぅ……」
「あの、先生……?」
 後ろを追いかけてきた廉士が、困惑した声をアルティに掛ける。しかし、うつ伏せになった彼女は、呻(うめ)き声を上げるだけで、答えようとはしなかった。
「どうしたんですか? 今日、何か変ですよ」
「……レンジくんは、私のことなんか、どうでも良いんだ」
「何の話を……」
 アルティの言いたいことがわからず、廉士は困った顔になる。次いで、ため息をついた廉士は、苦笑を彼女に向けた。
「よくわからないですけど、俺が今も生きていられるのは先生のお陰なんだから、どうでも良いなんてこと無いですよ」
「……じゃあ、この服、どう思う?」
「服? 先生がそういう女の子っぽい服を着るのは初めて見ましたけど、似合ってますよ」
「っ!」
 廉士の言葉を聞くなり、彼女は勢いよく顔を上げる。
「本当かい!?」
「ええ……。って、それが聞きたかったんですか? なら、最初からそう言ってくれれば……」
「そうか、似合ってるか。ふふ」
 アルティが嬉しそうに微笑む。
 廉士は事情が呑(の)み込めないが、とりあえず彼女の機嫌が直り、ホッと息をついた。
「さて、それじゃ、ごはんを作るかな。あ、着替えるから、リビングで待っててもらえるかね」
「着替えちゃうんですか?」
「うん。だって、この服、私の趣味じゃないから」
「……なら、どうして着たんですか?」
 廉士は呆れた口調で問い掛ける。
 しかし、上機嫌の彼女にそれ以上は何も言えず、廉士は苦笑して部屋を出て行った。  明かりの消された寝室で、アルティがベッドに横になる。夕食を終え、寝支度を整えた彼女は、布団にもぐり込み、満足げな顔をしていた。
「ふふ、似合ってるか。たまには、ああいうのを着てみても良いかな」
 アルティは微笑みながら囁く。
 そして、目をつむり、眠りにつこうとした。
 外を吹く風に、小さく鳴る窓の音だけが、部屋に響く。
 アルティは、その音に重なるように、ゆっくりと寝息を立てていった。
「――あ」
 だが、不意にアルティが目を開け、驚いたような声を上げる。
「……名前、呼んでもらってない……」
 アルティは呆然(ぼうぜん)とした声でつぶやく。
 そして次に、枕に顔をうずめた。
「ううううううう」
 アルティは、まるで泣いているかのような呻き声を上げ、足をバタバタと暴れさせる。
 どうやら、彼女の悩みは、まだまだ解決しそうになかった。

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